過去日記 2020年 自粛期間中はそこそこ日記が捗りました。 |
2020/01/05(日) #1102 もう干支で一喜一憂するのはやめよう |
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あけましておめでとうございます。 2020年だ。今年の干支は子(ね)、つまりねずみ年らしい。ポケモンファンの界隈では何しろエースがねずみポケモン、その他もこねずみポケモンやらひねずみポケモンやらいるわけで、特に絵師の方や年賀状ガチ勢にとっては大歓喜の年と言える。 しかし、私自身は特に何の感慨も無い。なぜなら「今年の干支」という認識は儚い存在だからだ。1ヶ月もすれば忘れ去られてしまう。2週間でも危ういかもしれない。もう去年の干支がすぐに思い浮かぶ人は少ないだろう。 ねずみだなんだと騒ぐのは今のうちだけだ。 正月から何を言い出すのだ、めんどくさい奴だと思われた方もいるだろう。 そんなあなたに言いたい。それは正しいと。自覚はある。 来年2021年に目を向ければ干支は丑、うし年である。今年ねずみ年でねずみポケモンのイラストを描いた人は、来年はケンタロスやミルタンクを描くのだろうか? おそらく数は多くないだろう。ポケモン絵師にとっては苦難の年が待ち受けている。 移り変わる干支に対して認識が薄くなったり、態度を変えたりするのならば、その刹那的な生き方に果たしてどれほどの意味があるのだろうか。 そういうことであるので、今年の干支の名を冠する当サイトとしては、ねずみを奨励するのではなくむしろもう干支で一喜一憂するのはやめるべきであると主張したい。 それでも干支にこだわり続け、来年もうしポケモンを描くポケモンファンがいれば、私は一貫した姿勢を賞賛したいと思う。 個人的にはずつきうしポケモン・バッフロンを推薦しておきたい。 今年もよろしくお願い致します。 |
2020/04/10(金) #1103 濃厚接触と天涯孤独 |
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しばらく日記をサボっている間に、世界がとんでもないことになっている。 “新型コロナウイルス”などという、近未来モノの漫画に出てきそうな名前のウイルスが瞬く間に世界に拡散し、人命や経済に甚大な影響を及ぼしている。そして先日、日本にも「緊急事態宣言」という、IQ100億の私をして「どうやらなんかヤバいらしい」と理解できる宣言が発出された。 このウイルスの厄介なところは感染力の強さだ。キーワードは「濃厚接触」。家庭・職場・病院・飲食店・ライブハウスなど、人同士の距離が近い至る場所で感染が拡大している。 特に欧米など海外での感染速度が凄まじい。やはりハグが挨拶代わりな諸国では、物理的にも心理的にも人の距離が近いのだろうか。個人的見解になるが、外国人のほうがハグやキスに加えて、ボディタッチやいわゆる夜の営みにも奔放なイメージがある。それらは取りも直さず「濃厚接触」だ。そうした背景が感染拡大の一因になった面もあると思われる。 とにかく「濃厚接触」を避けることが対策として重要なのだ。 私に関して言えば、仕事でもハブられ人と話す機会がなく、かと言ってプライベートでも濃厚に接触するほど親しい異性もいない。感染のリスクはかなり低いと言える。握手もハグもキスも、全く縁がない。何も心配ない。まさかモテないことが利点になる日が来るとは、世の中分からないものである。心の底から高笑いである。 目から消毒液流れてきた。 |
2020/04/13(月) #1104 「爽やか」の「爽」という字、×多すぎて爽やかじゃなくない? |
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私はボーッと生きている。 日々、何も考えずに生きている。働いて、休む。食べて、寝る。息を吸って、吐く。その繰り返しである。そこに何の疑問も持っていない。クラゲやゾウリムシの知的水準といい勝負である。 そうしているとNHKの番組で5歳児に叱られてしまった。曰く、ボーッと生きるなという。なんということだ。これからは心を入れ替えて、様々なことに疑問を持って生きようと思う。 * * * * * というわけで今回は、「私が最近疑問に思ったこと」とその回答をダイジェストでお送りしようと思う。政治のことからアニメのことまで、様々なことを調べた。それを皆さんにも共有したい。 今回調べた疑問は以下の通り。 ・新型コロナウイルスって言うけど、旧型コロナウイルスってあるの? ・生ビールの生ってなに? ・ポケモンは今、全部で何種類? ・人はなぜポケットに手を突っ込む? ・おならって我慢しすぎるとどうなるの? ・餃子の王将と大阪王将って別物? ・「爽やか」の「爽」という字、×多すぎて爽やかじゃなくない? ・「東京市」が無いのはなぜ? ・風はどこから吹いてくるの? ・結局、「クックロビン」って誰が殺したん? ていうか、クックロビンって誰? ・貧乏ゆすりってなんなん? ・なぜ通販番組は深夜にやるの? 知的レベルがクラゲやゾウリムシの域から脱していない疑問も多いが、順に調査の成果をご報告したい。 なお、回答はシンプルを旨としているため、一部説明不足や不正確な内容が含まれている可能性がある点をどうぞご了承願いたい。 * * * * * Q.新型コロナウイルスって言うけど、旧型コロナウイルスってあるの? A.ある。普通の風邪や「SARS」「MARS」がそれ。 現在世界で猛威を振るっている新型コロナウイルスだが、旧型(既存)の「コロナウイルス」は6種類存在している。 ・ヒトの風邪の10〜15%(流行期35%)は、4種類の既存のコロナウイルスによって引き起こされる。 ・かつて流行した、「SARS」「MARS」も動物から感染するコロナウイルス。 そして、現在流行が拡大しているコロナウイルスは新種のものであり、新型コロナウイルスと呼称されている。 なお、コロナウイルスは表面に王冠に似た突起があることから、ギリシャ語で王冠を意味する「コロナ」という名前が付けられたとのこと。 Q.生ビールの生ってなに? A.加熱による殺菌処理を行ってないってこと。 昔は製造過程で出る酵母や酵素を殺菌するため加熱していたが、現代では技術が向上して加熱しなくても品質を維持できるようになった。今日本で日常的に飲まれているビールは、瓶も缶もビアホールのビールもほぼ全て生ビールである。 Q.ポケモンは今、全部で何種類? A.894種類。 第1世代(赤緑)=151匹 全151種類 第2世代(金銀)=100匹 全251種類 第3世代(ルビサファ)=135匹 全386種類 第4世代(ダイヤパール)=107匹 全493種類 第5世代(ブラックホワイト)=156匹 全649種類 第6世代(XY)=72匹 全721種類 第7世代(サンムーン)=86匹 全807種類 Let's Goピカブイ=2匹 全809種類 第8世代(ソードシールド)=85匹 全894種類 もうそろそろおぼえられん。 Q.人はなぜポケットに手を突っ込む? A.警戒心、不安、秘密などやや不安定な心理の表れ。 人間は心理状態が手の動きに表れやすい。周囲に対して警戒したり不安を感じたりすると手を隠そうとする。「手の内を見せる」「手の内を隠す」という言葉があるように、手をオ―プンにすることはリラックスの表れであり、手をポケットに入れて隠すことは何かしら緊張の心理的サインである。(もちろん寒いだけやカッコつけたいだけのケースもある。) Q.おならって我慢しすぎるとどうなるの? A.口臭悪化、肌荒れ、太りやすくなる、何もいいことない。 おならの元は呼吸で取り込んだ空気と腸内で生成されるガスだが、我慢していると血液に溶け出して一部のおなら成分は口から出るため口臭の悪化に繋がる。また、腸内環境の悪化は新陳代謝の悪化に繋がり、肌荒れや排便の低下から太る原因にもなるとのこと。 さすがに命に係わる事例は確認されなかったが、どこを調べても適切なタイミングで放出したほうが良いという結論ばかりだった。 ちなみに日本における車のナンバープレートでは、「へ」は屁(=排ガス)を連想させるとして使われていないらしい。(この知識に対して「へ〜」と言ったら負けだろう。) Q.餃子の王将と大阪王将って別物? A.元々は一緒だが喧嘩別れで分派した。 元々は「王将」というチェーンだったが、1969年ごろ、詳細は明らかではないが喧嘩別れして「京都王将」「大阪王将」にのれん分けした。その後大阪王将が京都王将の縄張りまで進出したことで裁判になり、和解の末「京都王将」は「餃子の王将」と名乗るようになった。同じ中華料理チェーンだが、大阪王将は冷凍食品事業にも力を入れている。 なお、大阪王将の本社は東京にあるらしい。納得いかねぇ。 Q.「爽やか」の「爽」という字、×多すぎて爽やかじゃなくない? A.象形文字で、「大」は死体、「×」は入れ墨。 古代の中国において、死者を悪いものから守り再び転生してくれることを祈って、死体に入れ墨を刻む風習があった。特に女性の場合は、赤子を生み育てる尊い存在として、胸部と腹部にそれぞれ印を刻んでいた。色鮮やかで清らかなその様子が「爽」の漢字に繋がった・・・だそうだ(諸説あります)。 Q.「東京市」が無いのはなぜ? A.戦前はあった。合併して無くなった。 戦前は「東京府」「東京市(23区)」があったが、東京市の規模が大きすぎて「東京都」と23の「特別区」に分けられた。そのため東京23区はほぼ「市」と同等の機能を有する。横浜市や大阪市など他府県に存在する「区」とは性質が異なる、まさしく特別区である。それなら「世田谷市」や「台東市」など、区を市に昇格させても良さそうだが、23区内でも人口や財政基盤に大きな差があり実現していない。ざっくり言うと、大都市東京ならではの特別な統治体制といったところ。 なお、東京都の人口約1395万人のうち東京23区の人口は957万人で、7割弱を占める。私が以前住んでいた多摩市(東京の西のほう)が人が少なくのどかだったのも頷ける。 Q.風はどこから吹いてくるの? A.太陽が地球を暖める場所ごとの寒暖差で気圧の差が生まれ、気圧の高い場所から低い場所に向かって風が吹く。 気圧とは空気が押す力。暖かければ力は強くなり、寒くなれば弱くなる。結論、シンプルに答えると、暖かいところから寒いところに向かって吹くということだ。地球の自転は風の発生ではなく、風の方向に作用する。 この他にも雨、波、夕焼け、虹など、多くの自然現象についての知識がふわっとしている。いざ子どもから質問された時、しっかり子どもにも分かるように答えられる大人になりたいものである。 Q.結局、「クックロビン」って誰が殺したん? ていうか、クックロビンって誰? A.クックロビンは駒鳥(ヨーロッパコマドリ)、スズメが殺した。 色々説明が必要なのだが、まずは魔夜峰央氏作の漫画「パタリロ!」のアニメ版におけるエンディングテーマをご存知だろうか(こちら)。若い人は知らないかもしれない。 この歌詞の中にある「だーれがころしたクックロビン♪」という部分、私が子どもの頃は特に何も気にせず口ずさんでいたのだが、長い時を経て「そういえばあれの意味は一体何だったんだ?」とふと疑問に思ったのだ。 調べた結果は以下の通り。 ・「クックロビン」とはマザーグース(英米圏の伝承童謡)の一つ、「Who Killed Cock Robin」に登場する駒鳥。 ・童謡の冒頭でスズメが「誰が殺した 駒鳥の雄を それは私よ」と言っている。 ・萩尾望都氏の漫画「ポーの一族」の中で「Who killed Cock Robin」をモチーフにした作品「小鳥の巣」があり、人気を博して演劇化される。 ・演劇化された作中で、舞台が冷めた時などに一発ギャグ的な形で、舞台袖から団員全員が飛び出し「誰が殺したクックロビン」と言ってまたはけていく演出が使われていた。 ・劇団員の一人がパタリロの作者:魔夜峰央氏のアシスタントであり、仕事場で疲れた時のリクリエーションとして披露していたのがパタリロの作中に使われた。 経緯は長いが、要するに英語の童謡のパロディだということだった。 ちなみにこのパタリロは1978年に連載がスタートして未だに連載中であるという、しかも少女漫画というジャンルでは異例のレジェンド作品だ。さらには今でこそ一定の市民権を得ている男性同士の恋愛描写、ボーイズラブを当時から取り入れていたというから驚きである。昭和、平成、令和の時代を超える名作と言える。 最近話題になった「翔んで埼玉」の作者もこのお方だ。 Q.貧乏ゆすりってなんなん? A.身体的または精神的な緊張から筋肉が収縮伸長する運動。 詳しいメカニズムは完全には解明されていないが、下半身の血流が滞るのを防ぐため反射的に起こったり、何もしないことによる心理的な不安を解消したり、幼少期からの癖だったり、身体的または精神的なストレスを解消するために起こると考えられる。規則的な運動をすること精神的に安定する「セロトニン」の分泌を高める効果がある。ただ、世界共通で行儀が悪いものとして認識されているので、その点は気を付けるほうが良い。 「貧乏ゆすり」の名称の由来については諸説あって、貧乏人が寒さや飢えで震える様子という説が有力だが、このようなネーミングは日本だけの呼称である。 Q.なぜ通販番組は深夜にやるの? A.視聴率や制作費の心配がない上に、深夜は衝動買いしやすいから。 テレビ局側は深夜に視聴率が稼げないため、番組制作にコストをかけづらい。しかし通販番組ならコストがかからず、通販会社側も単純に商品利益だけ上げれば良いので、互いにメリットがある。また、深夜は多くの人が判断力が低下する、他に割り込むイベントがない、リラックス状態である、夜更かしする層はそもそも不摂生で健康に不安がある、時間がなくて昼間に買い物ができないが経済的には余裕がある層が見ている、など、商品が売れやすいターゲット、状況、心理が揃っている。 * * * * * 今回は以上である。 色々調べすぎて疲れたので、明日からはボーッと生きようと思う。 |
2020/04/20(月) #1105 あの頃、僕らはお気の毒だった |
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家庭用ゲームから取り残されてずいぶん長い。 コロナの影響により自宅でゲームをする人が増えているようだ。ツイッターでは日々たくさんのゲーム画面のキャプチャが流れてくる。最近のトレンドはどうぶつの森だろうか。皆楽しそうにプレーしていて微笑ましい。 私は家庭用ゲームをほとんどやらなくなってしまった。自宅にある最新ハードはUが付かないWiiだ。その前はプレイステーションで、さらにその前はスーパーファミコン、初代ファミコンと続く。Wiiがかえって浮いているラインナップだ。 もちろんゲームが嫌いになったわけではない。むしろ大好きだ。 ただ、所持しているハードが示す通りのファミコン世代である私は、幼少の頃にファミコンをプレーしていた時の記憶と感情があまりにも鮮烈で、あの興奮を現代のゲームがどうしても凌駕できないのだ。 粗いドットとチープな電子音が織りなす世界は、少年の私にはあまりにも刺激的だった。真っ白なキャンバスがビビッドな絵の具で次々に塗り潰されていくようなあの興奮は、大人になった今では二度と味わえない。 そのことに気が付いてから、どうも家庭用ゲームには食指が動かなくなった。 思うに、これはもう、完全なる老いの兆候だ。過去ばかり振り返り、昔話の多い男は嫌われるという。進化を嫌い、文明を拒み、未知から目を背けたその先にあるものは何か。そう――死。この大地で生き残る生物は強き者ではなく、適応できる者だ。そして私は適応を放棄した生物である。 それでもなお、私の記憶の中で、ファミコンでプレーしたゲームの幾多の光景が瞼の裏に焼き付いて離れない。これは不治の病のようなものかもしれない。 なぜそこまで私の中でファミコンの記憶の存在感が大きいのか。 感受性に富んだ子どもの頃の体験、攻略本、ウラ技、バグ技など色々興奮する要素があった一方で、あの頃はセーブデータがよく吹き飛んでいたことが大きいと考えている。 今も昔もゲームは楽しいものだ。ただ、昔のゲームには楽しい記憶に加えて苦い記憶が加わる。ゲーム難易度とは違うところで苦しい経験があった。 この画面は今見てもどきりとする。 とにかく当時のゲームはセーブデータが消えやすかった。バッテリーバックアップの技術が開発され実装された当初、画期的ではあったものの、まだ問題も多かった。 説明するまでも無いが、こうなれば何十時間プレーしようがゲーム内の成果は全て消失する。進めたストーリー、仲間、経験値、お金、アイテム、歓喜も苦労も一瞬で水泡に帰す。この時の感情は絶望とか喪失感とか、陳腐な言葉では表現できない。しいて言うならリアルな SEKAI NO OWARI である。 そして、データが消えたからと言って「しゃーない、また最初からプレーするかぁ」とは、ならない。 放心状態でカーソルを右往左往させ、電源を切り、窓の外を眺めて、しばし呆然とし、こみ上げてくるやり場のない怒りをお母さんにぶつけて、そんなに嫌なら初めからやるなと一蹴され、夕飯を食べることを促されるだけである。 その後しばらく何も手につかない日々を送る。 楽しかったはずのゲームが、憎い存在にすら思えてくるようになる。 が、しかし――何かに駆り立てられるように、また冒険を始める。運命に導かれるように、僕と勇者は旅に出るのだ。一度話した街人や一度開けた宝箱、一度倒したモンスターをなぞる、二度目の冒険へと。 魔法の使い方。知っている。カギの入手場所。知っている。回復アイテムの準備。うねるダンジョンの進むべき道。強力なモンスターの弱点。全て知っている。 そして気が付く。以前の自分から成長している、と。 確かに冒険の書は消えた。仲間も道具も時間も消えた。全て失ったと思っていた。だが、己の中にある経験値だけは消えていなかった。消えた勇者が残してくれたもの。少しだけたくましくなった心境で、また冒険の旅が続いていく。 無駄じゃなかった。また積み上げていけばいい。以前の“ぼく”を超える旅。強くなろうと誓うのだ。 こうして冒険は進み、新しい場所に辿り着いた時に、また事件は起こる。 いや、またかーい! きえてしまいました、じゃねーよ。気の毒と思うならもっと頑張れ馬鹿。 とにかくこのような苦い経験を経ているので、クリアした時の喜びなど例えようもないものだ。挫折に次ぐ挫折からの栄光。不屈の挑戦が結実するのである。 そしてこんな体験は、現代のゲームではまずできない。いや、無いに越したことはないし、もう経験したくないのだけれど、結果として苦しい経験がかえって記憶を鮮明に、強固にしているわけだ。 現代のゲームには何の不満もない。ただ、技術が未完成だったファミコン時代だからこそかえって輝く魅力があったのだ。 これが私が現代の家庭用ゲームをやらなくなった理由である。 繰り返すがゲーム自体は大好きなのは変わらない。ゲームをプレーする皆が、もっともっとゲームを大好きになって欲しいと心から願っている。 特に「どうぶつの森」を楽しんでいる皆様も、こんなメッセージを受け取れば、結果的にもっとどうぶつの森を大好きになれると思う。 皆様も、どうぞお気の毒なゲームライフを。 |
2020/04/29(水) #1106 ピカチュウの逆襲 |
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「ピカチュウの逆襲」をご存知だろうか。 ミュウツーではない。ピカチュウ、の逆襲である。ご存知の方は少ないと思う。これは、1998年に発行された書籍だ。(amazonリンク) アニメポケモンを観ていた子どもたちが光過敏性の発作を起こした事件、いわゆる「ポケモンショック」が発生したのが1997年12月。翌年2月に発行された「ピカチュウの逆襲」は、この事件に関連した書籍である。 もう20年以上前になる。事件があった2ヶ月後、私は新聞の片隅にあった小さな広告に目を奪われた。書籍「ピカチュウの逆襲」刊行の宣伝だった。 当時の私は今以上にポケモンオタクであり、ポケモンに関連するグッズは手あたり次第手に入れようとしていた。この書籍も例外ではなかった。ポケモンファンにとっては痛ましい事件を扱ったこの本はポケモングッズとは言いにくいが、オタクをこじらせている私には関係なかった。商品名に「ピカチュウ」と入っているだけで十分だった。それどころかタイトルに「逆襲」などと付いていることでむしろインパクトがあり購買意欲をそそった。とにかくこの本が欲しかった。(余談だが、同年に作成された映画「ミュウツーの逆襲」の放映より前の話であり、タイトルかぶりは偶然と思われる) しかしネットショッピングなど無い時代、知りうる限りのあらゆる書店を回ったがどこにも売っておらず、ついに手に入れることは叶わなかった。 20年以上経った現在も、私はこの本が欲しくてしょうがない。今でこそネットショッピングがあるが、入手は当時よりもさらに困難かもしれない。それというのも当時市場に流通した数も少なかったのであろう、かなり希少でamazonで売られているのは本日時点でたった一品、しかも中古で¥39,000である。定価の30倍。どうやら石油王向けの商品のようだ。 ところでこの「ピカチュウの逆襲」、一体どういう内容なのか。 まず著者である宮川俊彦さんというお方は、作文や表現教育の第一人者であるそうだ。2014年に亡くなられているが、国語作文教育研究所所長、大学の教授、テレビやラジオのキャスター、評論家などを務められていたとのこと。「ピカチュウの逆襲」以外にも多数著書を発行されており、多くが作文に関するものである。 そしてこの本の副題は「子どもたちはポケモンパニックをどう見たか」。Webで確認できる書籍の商品説明には、「子どもたちが作文を通して大人に訴えかける」とある。 商品レビューなども非常に少ないが、Web上にわずかに個人のレビューがある。要約すると以下の通りだ。 ・小中学生を中心に、中には高校生や社会人が書いたポケモン騒動に関する作文集。 ・ポケモンを教材とした作文指導。 ・ポケモンそのもの、アニメ、騒動などについて各自が自由に書いている。 ・アニメ再開を待つ声、事件を受け止め今後も放送すべきでないという双方の意見。 ・騒動直後の、ポケモンに生身で触れていた当時の子どもたちの率直な意見。 どうやら、ポケモンとポケモンショックに関する作文集がメインのようだ。ポケモンに最も近い人たちの作文を通して、ポケモンショックという社会的事象を捉えようとしているのだろう。 また、amazonなど通販サイトの商品情報で確認できる目次は以下の通りだ。 ・ポケットモンスター(ポケモン)とは ・ポケモンの日 ・ポケモンの周辺 ・38話を再検証した ・モンスターを探せ ・ポケモン文化の探究 ・ポケモン放映中止 ・まぼろし これだけでは内容を伺い知ることは難しいが、ポケモンとポケモンショックを全く知らない読者層を意識しながら、作文を紹介していると推測される。 では「逆襲」の意味は何か……だが、これは情報が少なく、その言葉の意味するところを未読では分からない。 推測でしか無いが、ポケモンショックの事件に対して中立的な立場を意識しつつも、子どもたちのヒーローであるピカチュウを通して彼らの生身の声を世に出し、事件に対する批判に一石を投じているのかも知れない。 いずれにせよ、とても興味がある。絶対面白いと思う。やはり是が非でも欲しい。 書籍「ピカチュウの逆襲」については、引き続き入手の機会を伺いながら、調査を続けていきたい。 最後に1つ言いたいのだが、 本のオビにある言葉、 「ボクは悪くないでチュウ!」 このオビ書いた人 絶対ポケモン見たことない と思う。 |
2020/05/02(土) #1107 20年間愛を貫ける変わり者 |
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そうなんです。当サイトは明日、2004年開設から16周年を迎えます。 2004年と言えば、北島康介が気持ちいい瞬間にチョー気持ちいいと言った年であり、「オレオレ詐欺」が初めて命名された年であり、多摩川のタマちゃんが行方不明になった年ですね。 ――といった今の言葉に代表されるように、最近の自分は「古いもの」「昔の文化」を振り回してばかりいる気がする。昔の本を紹介してみたり、ファミコンネタだったり、個人サイトの歴史を振り返ってみたり。これは、なんですかね。年ですかね。年ですね。そうですね。マスター、酒持ってこーい! いや開き直るわけではないですが、ポケモンもハム太郎も歴史の長いコンテンツで、当サイトは一応ポケモンとハム太郎のファンサイトであるわけですから、キャリアの長さが当サイトの特色であっても不思議ではないですよね。ね!?(有無を言わせない様子で) ところで歴史が長いということで言うと、ポケモンもハム太郎も、もう20年ないしそれ以上の歴史があるわけじゃないですか。で、ポケモンはともかく、全盛期から約20年経ってるハム太郎のことがいまだに「大好き!」って人は、いい意味で、本当にいい意味で、変な人だと思う。いい意味でね。 いやね、「ハム太郎、懐かしいなぁ」「昔アニメ見てたよ」ぐらいなら普通だと思うけど、もう20年前に全盛だったコンテンツを今も「大好き!」って言えるのは、よっぽど一途と言うか、愛が深いと言いますか、童心を忘れないというか、とにかく変わり者なんじゃないかなぁ。 20年間同じものを同じ熱量で好きでいられるのは、1つのすごい才能ですよね。 私は元々ポケモンもハム太郎もほどほどに好き、という感じでここまでやってきてますし、自粛期間中にアニメハム太郎全話マラソンする程度の愛情しかないですから、皆さんに比べれば全然です。 ということで変わり者の皆様に支えられて、17年目も頑張ろうと思います。 どうぞよろしくお願いいたします。 |
2020/05/10(日) #1108 結局、現代最強の生物はなに? |
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知的欲求が留まるところを知らず、日々様々なことを調べている。 自粛ムードで持て余す時間が増えるにつれて、身の回りに溢れる疑問に気が付く機会も増えている。今日も私が抱いた疑問とその回答をまとめたので、皆さんに共有したい。 今回紹介する知識は以下の通り。 ・テレワークのテレって何? ・「フィレオフィッシュ」って何の魚? ・ポケモンのギネス記録ってどんなのがあるの? ・「串」の字に刺さってる2つの □ は何の肉? ・虹はどうしてできるの? ・たまに道路の真ん中で点滅している黄色のライトって何? ・四つ葉のクローバーってなんで幸運の象徴なの? ・アイドルに有給休暇ってあるの? ・ウォーリーって何の仕事してるの? 家族とかいるの? ・結局、現代最強の生物はなに? なお、回答はWikipediaなどから引用したものをさらにシンプルにしているため一部不正確な部分や説明不足を含む可能性がある点、ご了承願いたい。 * * * * * Q.テレワークのテレって何? A.tele=離れた場所。テレフォン、テレパシーのテレ。 「テレワーク」と「在宅勤務」はその意味に微妙な違いがあって、テレワークは通信技術を活用した社外での勤務全般、在宅勤務はテレワークのより具体的な形態で、通勤時間の短縮できる場所での仕事を指す。今年になってクローズアップされている言葉だが、歴史は古く1973年に作られた言葉だそうだ。 Q.「フィレオフィッシュ」って何の魚? A.タラ。100%アラスカ産スケソウダラ(スケトウダラ)。 これはマクドナルド公式が専用のページまで作って説明している(こちら)。要約すると、アラスカの「ベーリング海」で獲れたスケソウダラを、現地で加工して手作業で骨抜きし、そこからタイに輸送されてバーガー用にカット・衣を付着して、日本に輸送される。 皆さんもベーリング海に行く機会があれば「ここがフィレオフィッシュの海か……」という気持ちで見てもらえればと思う。難破や遭難が多い危険な海らしいのでお気を付けて。 フィレオフィッシュが泳いでる海。 Q.ポケモンのギネス記録ってどんなのがあるの? A.ゲーム、映画、カレンダー、ポケモンGo、ポケモンショックなど。 ▼ゲーム「ポケットモンスター」シリーズ 総売上げ本数が世界一のロールプレイングゲーム(1億8000万本) ▼劇場版ポケットモンスター「ギラティナと氷空の花束シェイミ」 最も前売り券が売れたアニメ映画(238万4198枚) ▼マクドナルドの「ポケモンカレンダー2010」 世界でもっとも売れているカレンダー(147万6422部) ▼モバイルゲーム「ポケモンGO」 配信から最初の1ヶ月の最多ダウンロード数(1億3000万)、他4つの記録あり ▼アニメ「ポケットモンスター」 最も多くの視聴者に発作を起こさせたテレビ番組(救急搬送約650人) その他も色々あるみたい。 ポケモンショックってギネスにもなってたんだね……。 Q.「串」の字に刺さってる2つの 口 は何の肉? A.貝。紐で貝を貫いてる象形文字。 2つのものを縦に貫く象形から成り立っており、貝と紐とのこと。貝は古くから装飾品としての用途があり、 紐で通して連ねた様子が成り立ちと考えられる。バーベキューの肉や野菜が成り立ちではなかったようだ。 Q.虹はどうしてできるの? A.太陽の反対側の空に、空気中の水分に太陽光が反射してできる。 虹は反射した太陽光。雨上がりの水分を多く含んだ空に太陽の光が様々な角度から反射して、7色に光り輝いて見える現象。必ず太陽の出ている方向と逆の空で見える。また、光の角度も関係している。朝や夕方など、太陽の光が低い角度から指しているほうが見えやすい。なので、これらの条件が整う夕立の後には虹が見えやすい。 Q.たまに道路の真ん中で点滅している黄色のライトって何? A.ブリンカーライト。ドライバーに注意を促すためのランプ。 ブリンカーライト(分岐点用点滅灯)と呼ばれ、一般道や高速道路に、漫然運転や道路の危険な場所における事故の防止のために設置されている。主に事故が起こりやすい中央分離帯、分岐地点などに設置される。指示や規制ではなく警告を示すランプである。販売価格は、約17万円〜30万円。 Q.四つ葉のクローバーってなんで幸運の象徴なの? A.西洋の伝説で、4つの葉が揃えば「真実の愛」とされているから。 クローバーの正式名称は「シロツメクサ」。四つ葉になる確率は、1万分の1〜10万分の1とされている。五つ葉以上はさらに(宝くじ上位当選並みの)低確率で存在する。四葉になる要因は、遺伝・突然変異もあるが、多くはクローバーが芽の段階で人や動物に踏まれるなど外的要因で傷つき、外傷から分裂するとされている。ちなみにギネス記録は五十六葉。 シロツメクサは西洋伝来なのでキリスト教に関連があり、三つ葉は 1.神 2.子 3.精霊 の三位一体を表す。さらに四つ葉は葉脈が十字架に見えることから幸せの象徴であり、4つの葉には 1.愛 2.名声 3.富 4.健康 という意味があり、これら四枚が揃うと真実の愛になるとされている。 Q.アイドルに有給休暇ってあるの? A.雇用形態による。実態としては無いケースが多い。 アイドルや芸人は特殊な仕事で、有給休暇の有無は残業代と同じで、当人が「労働基準法」の適用対象かどうかが関係する。それには「雇用主」がいて「労働者」契約を結んでいるか次第。簡単に言うと「雇用主」(管理監督者)が仕事のスケジュールや場所、時間を管理していて、それに応じて労働しているならそれは「労働者」である。しかし実態としては、そうした会社の指示で労働していても、特に駆け出しのアイドルや芸人は法的な「労働者」とみなされておらず、長時間かつ低賃金で労働しているケースが多いようだ。当然有給休暇もない。 最近でこそ、アイドルも芸人も労働者としての権利を保障する動きがあるものの、未だ昔から続いている、下積みから這い上がり、夢を追うために過酷な環境で努力する――という実態は、その是非はともかくとして存在しているようだ。 Q.ウォーリーって何の仕事してるの? 家族とかいるの? A.「しろひげ」の命令で世界中を旅する男。逃走中の殺人犯がモデル。 「ウォーリーをさがせ!」は、1987年にイギリスで出版され、同年に日本でも発売された絵本。ウォーリーは「しろひげ」という魔法使いに、世界で起きている様々な事件の解決を依頼され旅している、というストーリー。国内外でアニメにもなっている。 1980年ごろ、イギリスで25人もの子どもを殺害した1人の男が逮捕された。男の名は「ジム・ジャック」。ジャックは警察の精神病院に収監されたが、その後脱獄。行方不明となっていた。その事件の数年後、絵本作家の協力の下に発行された「ウォーリーをさがせ」で主人公が着ている服は、ジム・ジャックが着ていた精神病院の囚人服と同じ服、しかも仲間である子どもの親衛隊の集団は、ジム・ジャックが殺した子どもの数と同じ25人で構成されている――。 という、都市伝説である。事件の部分も含めて信憑性は全く定かではない。信じるも信じないも以下略、というやつである。ちなみに、ウォーリーには同じような格好をした「ウェンダ」という彼女がいる。これは公式設定。 Q.結局、現代最強の生物はなに? A.武装ありなら人間、ガチならアフリカゾウ。 高い知力であらゆる科学技術をもって武装できる人間が最強なのは間違いないだろう。しかし丸腰なら人間は地球上の生物では並程度だ。 種固有の能力だけで見た場合、もちろん最強の定義も含めて諸説ある前提だが、アフリカゾウが最強の生物に最も近いという意見が多い。他の生物の何倍もある10トン前後の巨体、武器となる長い鼻と牙を持ち、皮膚も厚く加えて凶暴な性格。最強候補のライオンやカバすら相手にならないレベルなので、これは圧倒的と思われる。 凶暴なイメージは無いが、キリンもかなり強いらしい。長い首だけでなくサイズを生かしたキックがかなり強烈とのこと。水中ではクジラが最強という説が有力であり、強さとサイズは相関関係にあると言えそうだ。 なお、少し趣旨とは外れるが、人間が他の動物より優れる能力を紹介したい。 人間は生物として決して強くはないが、他の動物より「持久力」「投擲力」に優れる。数十km単位で長距離を走ると、馬など野生動物の大半をしのぐ速い記録が出る。これは人間が2足歩行であるため、特に長い距離を走るエネルギーが効率的であるからだそうだ。また、物を遠くに投げてしかも正確に当てる能力は、人間が最も高いという。これは肩の筋肉が発達していてかつ関節が柔軟であることと、対象までの距離や予測、風などの気候条件を計算できる高度な知能がある人間の優れた能力だ。 * * * * * こういった様々な疑問を調べていると、Wikipediaやまとめページといった情報サイトがたくさんあり、つくづく現代は情報を手軽に得られるようになったものだと感じる。しかしその反面、真偽が怪しい情報およびサイトが多くなっているのも事実だろう。そう、今あなたが今見ているサイトとかな。皆様におかれても情報は正しく判断し、活用して頂きたい。 |
2020/05/16(土) #1109 リアルタイムコミュニケーションの変遷 |
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「27時間連続日記更新」という企画をやったことがある。 また昔話で恐縮だが、老い先短い翁の長話が始まったと思ってご容赦願いたい。 2009年、11年前である。ポケモンハートゴールドとソウルシルバーが発売された年。27時間連続日記更新。まんまである。27時間連続で、一睡もせずここの日記を更新し続けるという企画だ。結果として100回近く更新した。内容は日常系、あらかじめ用意したテーマ、アニメの感想、一言ネタ、Web拍手への返信など、いつも通り愚にも付かぬ内容である。 それでも多くの方にご覧頂き、1日で通常の10倍ほどのアクセスがあった。更新内容は取るに足らないものだったが、お越し頂いた方々には感謝しかなく、私自身も非常に楽しかった記憶がある。実はその2年前にも24時間で同じような企画をやっていた。 当時のお客様には、それなりに楽しんで頂けたのではないかという自負はある。 * * * * * 当時、個人サイトの連続更新は珍しい文化ではなかった。その背景には当時のネットコミュニティ事情がある。 2007〜2009年前後、個人サイトは数を減らし、ブログが主流だった時代。iPhoneが日本に上陸し、これからツイッターやスカイプが流行する前の過渡期で、当時ネットにおける交流はまだリアルタイム性に乏しかった。YouTubeのライブ配信やニコ生もない時代。例えば夜中に「今まさに画面の向こうに人がいる」ことを感じようとすると、スカイプやメッセンジャーなどで身内を相手にするか、2ちゃんねるで匿名を相手にするしかなかった。 言い換えれば当時は、画面の向こうにいる人と距離が離れていた。時間差があった。いるのかいないのか分からない、不確かさがあった。デフォルトすれ違いが当たり前で、良くてせいぜい別のサイトを巡回してる間の入れ違い程度だった。 一方で、それがかえって魅力でもあった。「いつの間にか」トップ絵が更新されていたり、「いつの間にか」掲示板に返信が来ていたり。追いかけて、そこに小さなプレゼントが置かれていたような喜びがあった。その時間差が小さいほど嬉しかったものだ。画面の向こう側にいる人との接点は、本当に「点」だった。 * * * * * 時代は進み、コミュニティの形態も変化していった。 SNSは次第に流行ではなく日常生活に必要なツールになり、ツイッターでは四六時中誰かが何かを呟き、インスタグラムではスイーツの写真を上げられ、Pixivでは次々とイラストが投稿される。YouTubeやニコニコ動画では生配信が行われる。 現代においてコミュニケーションは「線」となり、画面の向こう側にいる人とすぐにリアルタイムで存在を感じられる時代になった。情報は間断なく入ってくるようになった。たとえそれを望もうが、望むまいが。 もちろんそれは楽しいことでもあるし、便利な世の中になった証でもある。メリットも数多い。 しかしあらためて私が思うに、以前に比べて今の時代は何か距離が近すぎる気がするのだ。リアルでも息苦しいことの多い世の中にあって、ネット上でまで常に近くに誰かがいては、気が休まる時が無い。 しかも現代は国民総ジャーナリストとも言うべき時代、全員がコンテンツの発信者だ。何本もの線が複雑に交差し、都会の喧騒の中にいるようで情報過多だ。 一昔前から「SNS疲れ」なんて言葉を聞くようになったが、あれは何なんだろう。私には、自分から深い海に入って溺れてるようなものだと感じる。情報が溢れ、人と人との繋がりが増えたことで、距離感や空気感が複雑になって価値観の違いが浮き彫りになり、息苦しさを感じる。無理もない。ひとえに距離が近すぎる現代コミュニケーションの弊害と言えるのではないか。 あの頃の静かな夜、必死に手を伸ばしてささやかな温もりを得ていた時代から、隔世の感がある。 * * * * * ――27時間連続日記更新、10年以上の時を経て思い返すと、あれは「リアルタイムの発信」が価値あるコンテンツだった時代の産物なんだな、と感じる。 たとえ取るに足らない内容でも、まさに今同じ時間にいる感覚を共有する。画面の向こうに人がいることを体感させる。現代のスタンダードがエンターテイメントとして成立していた時代。あらためてあの企画はあの時代だからこそだったのだな、と思うのである。 逆に言うと、今同じことをしてもツイッターの劣化版にしかならないだろう。時代錯誤と言われても仕方ない。……そういえば「F5連打」なんて言葉もあったなと思い出す。 誤解無きように言っておくが、決して今のネットコミュニケーションが悪いと言っているわけでも無ければ、昔のネットコミュニケーションを過剰に持ち上げるわけでも無い。時代には、その時々におけるニーズに合った手段が存在し、それを上手に使いこなすのが良いネットの使い方なのだと私は思うのである。 もう1つ言っておくが、「10年ぶりにやりまーす! 30時間連続日記更新〜!!」 ・・・という 壮大なフリでもない。 そりゃもう色んな意味で無理である。……フリじゃないぞ。絶対にな! |
2020/05/29(金) #1110 ハム太郎専門家の研究発表 |
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この世には様々な専門家がいる。 政治や経済、医療や文化、自然やグルメにスポーツなど、あらゆるジャンルに専門家は存在する。専門家の定義はそれこそ様々だろうが、「長く研究していること」、積み重ねた研究期間は1つの指標となるだろう。 私もハム太郎ファンとなり20年来の研究期間を経ている。すなわち、すでにファンに留まらず専門家の領域に入ったと言える。 本題に入ろう。 先日街中で、ハム太郎のガチャガチャを発見した。 「ハグコット とっとこハム太郎」 ハム太郎専門家の立場から分析すると、これは昨年から続くハム太郎リバイバルの一環だ。かつてのファンをメインターゲットとして、あわよくば新規ファン層を獲得したいマーケティングの1つと言える。 このガチャガチャはケーブルにくっつけるミニマスコットだ。 ラインナップはハム太郎、リボンちゃん、こうしくん、タイショーくん、マフラーちゃんの5種類。 専門家の見解としては、ちーずのメンツ集めてよし、ひまわり隊集めてよし、どんぐり隊集めてよし。魅力的なラインナップと言える。 ということで、研究のために2回回してきた。 あくまで研究のためである。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 開封しています…… ・ ・ ・ ・ ・ ドン!! 専門家の見解としては、これは99.8パーセントの確率でハム太郎と思われる。 造形を観察してみる。 我々専門家はこういったマスコットを評価する時、まず尻から見る。 そう、専門家は尻から見る。 専門家による分析としては、丸みを帯びつつも均整の取れたフォルム、そこから伸びる天を差す尾。これはまさしく優しさと力強さを携えた、ハム太郎の尻である。そしてハム太郎の最大のチャーミングポイントとも言える尻の斑点、太陽のごときその存在感は全ての生きとし生けるハムスターを照らす光の象徴を示している。 専門家の見解として、造形は合格点と言える。 さて、もう1個は何が出るだろうか。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 2つ目を開封しています…… ・ ・ ・ ・ ・ ドドン! 専門家の見解として、これはダブっていると言える。 ギャフン! |
2020/08/07(金) #1111 去年の今日、来年の今日 |
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名曲「ハッピーハムハムバースデイ」が、歳を取るたびに心に響く。 初めて聴いた時から大好きな曲で、あれから約20年経つだろうか。歳を取ってあらためてこの歌を聞くと、以前とは聴こえ方が違って、何か言葉にならない感情が込み上げてくる。 特に胸に迫るのが、 「去年の今日より大きくなったね」 「約束しようよ 来年の今日も笑顔で集まろうよ」 という箇所だ。華やかさも飾り気もそれほど無い言葉の中に、どこか幸せで、そしてどこか儚げな雰囲気を帯びている。 去年と今年、そして来年。時間はとめどなく流れるが、未来は誰も約束できない。でも、この歌は確かな今を喜び、優しく未来を見つめている。そのさまが言いようもなく心に迫るのだ。 ハム太郎、かぶるくん、20歳おめでとう。もう長老ハムだね。 |
2020/12/21(月) #1112 ここは僕のホームページなので好きなアニメの話をしようと思う |
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好きなアニメの話をしたいと思う。 この日記で語りたいテーマは山ほどある。政治、経済、社会情勢、文学、宗教、哲学、環境問題、人生論。世に投げかけたいメッセージは日々私の中で蓄積する一方だ。しかし時間は有限であり、それら1つ1つを語るにはあまりに人生は短い。そこで、最も今語りたいテーマを選んだ。 好きなアニメの話をしよう。そうしよう。 話のレベルが随分と庶民的であるが、熟考を重ねた末に「ホームページとして初心に返ろう。自分の好きなものの話をしよう!」と思うに至ったのだ。文句は受け付けない。ここは私のテリトリーだ。文句がある輩は回れ右!(2000年代初頭の個人サイト的表現)である。 なので、今回は私の好きなアニメ作品について書き綴りたい。 * * * * * 私は子どもの頃からたくさんのアニメを観てきた。全てを挙げればキリが無いので、いくつかに厳選して紹介したい。 あなたの好きなアニメと同じ作品があれば、この上ない喜びだ。 なお、記載する順序は新旧もジャンルもごった混ぜである。 さっそくどうぞ。 * * * * * しあわせソウのオコジョさん (2001年10月〜2002年9月放送) 胸キュンアニメはお好きだろうか。私は大好きだ。小動物が出てくるアニメは良いものである。このしあわせソウのオコジョさんは、オコジョにスナネズミとフェレットと小動物愛好家垂涎のアニメであった。加えて元作品は少女漫画であり、美男子が多数登場しショタまでカバーしている。 私に天使が舞い降りた! (2019年1月〜3月放送) 大人になればアニメなんて見なくなるんじゃないか。子供の頃私はそう思っていた。実際はむしろ大人になれば見るアニメの量は増える一方だった。平成の最後、時代の節目でピリオドにふさわしいアニメに出会った。 そのアニメは、女子から女子へ、ストレートな恋心を交えた描写が、様々なキャラクター間で網目のように張り巡らされている。交錯する思いが行く先の未来は。簡単に言うと、百合っていいよね。そういうアニメだ。最終回がとんでもなく良い。アニメから入って漫画は全部買った。動き始めているらしい新プロジェクトも楽しみでならない。 おねがい♪マイメロディ きららっ★ (2008年4月〜2009年3月放送) サンリオの核弾頭ことマイメロが放つシリーズ最高傑作。数あるマイメロシリーズの中からなぜこの作品かと言うと、実に個人的な理由なのだが、放映当時は仕事が週6で早朝から深夜まで働いている地獄の時期で、日曜日のマイメロとイナズマイレブンを見ている時間だけが心の救いだったからだ。それゆえ荒んだ心のオアシスとして私の中では思い入れの強いアニメである。「会社を爆破して。お願い♪」というわけだ。もちろん登場キャラクターの可愛さはさすがサンリオ、折り紙付き。 このシリーズを最後にマイメロのアニメは終了するのだが、その後に始まったジュエルペットは私から癒しを奪い取った憎き仇であり、10年以上経った今でも許すことができていない(でも観てた)。 ポケットモンスター (1997年12月〜2020年12月現在放送中) 私は昔から“モンスター”が好きだった。子どもの頃は「スーパーマリオ」が大好きだったが、マリオではなく、クリボーやノコノコなど敵キャラの絵ばかり描いていた。そしてモンスターがたくさん出てくる「ドラゴンクエスト」シリーズは私が最も大好きなゲームだった。だが私は「ドラクエ」シリーズは1994年の「ドラクエ6」を最後にプレイしていない。何故か? そう、このセンセーショナルなゲームが1996年に出たからだ。 アニメはもちろん第1話から見ている。さすがに今はしていないが、かなり長い間ずっと録画もしていた。媒体はもちろんVHSである。あの伝説回「でんのうせんしポリゴン」もしっかり録っていた。ポリゴンショック当時は実際の映像が希少価値になり録画したビデオが数千円で売れるとかなんとかいう話もあって、本気で悩んだりもした。懐かしい思い出である。 Re:ゼロから始める異世界生活 (2016年4月〜9月放送 ※第1期) ラノベやいわゆる異世界モノが特に好きというわけでも無く、本当に何の予備知識もなくなんとなく見始めた第1回目からハマったアニメ。とにかくストーリーが衝撃的で、自分史上最も毎週続きが気になる作品だ。好きなアニメはほとんどが1話完結型なのだが、これだけストーリーものにハマったのは異質だった。1期が特にオススメ。来年2期の後半なので楽しみだ。 たまごっち! (2009年10月〜2015年3月放送 ※30分版) バブル時代に一大ブームを巻き起こした携帯型玩具の新シリーズ。キャラの可愛さはもちろんのこと、ストーリーが色んなキャラにスポットを当ててくれたり、変にシリアスに走ったりすることもなく、期待を裏切らない安定さがあった。くわえてギャグも楽しい。何も考えず楽しめるアニメだった。もしポケモンとハム太郎がこの世に無かったら、当サイトは「たまご人生」であっただろう。 イナズマイレブン (2008年10月〜2011年4月放送) 「少林サッカー」と「キャプテン翼」を足してさらに5を掛けたような、とんでも超次元サッカーアニメ。とにかく必殺技が派手でカッコよくて、もはや荒唐無稽さを宇宙の果てまで吹き飛ばしてしまっている、振り切れた感じが大好きだ。それでいてキャラクターもストーリーも熱く見ごたえがあり、さらにテーマ曲もいい。少年層向けの見た目と派手なパフォーマンスから抱く印象以上にファン層が広い作品だ。ゲームも買ったし映画も見た。 今でも「イナズマイレブン必殺技まとめ」みたいな動画を見始めると止まらない。ファイアトルネード、ゴッドノウズ、皇帝ペンギン2号が好きだ。 きんぎょ注意報! (1991年1月〜1992年2月放送) 子どもの頃、私の姉は「なかよし」派だった。姉に借りてよく読んでいた「なかよし」で、特に好きだったのがこの作品だ。とにかくかわいい動物がたくさん登場する。自分で言うのも恥ずかしいが、昔から本当に可愛いものが好きだった。漫画はもちろん、アニメも姉と一緒に欠かさず見ていた。私の可愛いアニメ好きの原点であるように思う。 なお、主人公:わぴこのCVはポケモンのプリンやチコリータでおなじみのかないみか氏で、デビュー3年目の作品である。そしてオープニングは屈指の名曲。第1話がYouTubeで見られるので、興味があればどうぞ。 とっとこハム太郎 (2000年7月〜2006年3月放送 ※30分版) 電撃に打たれたようだった。約20年前、暇を持て余して所在無げにテレビのチャンネルを切り替えていた時、目に入った「200%のジュモン」を踊るハムスターの姿。やぁ、やぁ、やぁ、ねぇ知ってる? 不思議なジュモンだよ――。本当に不思議だった。あの日から私の人生は変わってしまったのだから。 誓ってもいい。ハム太郎を超えるアニメは、今後登場することは無いだろう(個人の感想です)。 * * * * * 以上である。今回はアニメの話になってしまったが、次回は政治や経済、国際情勢などの話を展開しようと思う。 ※都合により、番組内容が「好きなゲームの話」「M-1グランプリの話」などに変更になる可能性があります。ご了承ください。 |
2020/12/31(木) #1113 M-1グランプリ2020感想 |
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毎年、「今年はもうM-1の感想書くのやめとこう」と思っている。
理由は、書きたいことが無限にあり時間がかかりすぎるからだ。深夜に駄文を重ねて朝日を拝むこと数限りなし。そして翌日に続きを書くと、また感想や見方が変わっていて「これは少し違う」「ここはもう少し詳しく書きたい」と修正が繰り返される。それがまた新たな追記と修正に繋がり、永遠に終わらないのかと思うほどだ。
それでも今年で16回目になるM-1グランプリ、視聴後のリアルな感想は後から見返すと貴重で新鮮なものであるし、何よりM-1は毎年面白い。結局、七転八倒しながらアップしている。
というわけで日本一遅いM-1感想です。文字ばかりで恐縮ですが、さっそくどうぞ。
感想 特別な一年の結末
コロナ禍で芸人が劇場に立てる機会が大幅に減り、M-1グランプリも開催が危ぶまれてどうなるものかと思われましたが、蓋を開けてみれば史上最多の5081組がエントリー。大会は「漫才は止まらない」と銘打ち、例年と遜色ない盛り上がりを見せました。 番組冒頭の煽りVで芸人たちがマスクを外して舞台に向かうあの熱い姿は、もしかしたらこの年しか見れないかもしれません。 世間では漫才とは何だみたいな論争が一部で起こっているようですが、色んな意見があり、皆がそれを考えることは良いことだと思います。議論があれば文化は成熟していくでしょうし、何よりM-1の価値を決めるのは大衆ではなく芸人たちですから。 最終決戦の結果発表直前、CM中に舞台裏で、マヂカルラブリー、おいでやすこが、見取り図の3組が全員で輪になって互いに握手し、誰が優勝しても悔いなしと健闘を讃え合ったそうです。なんと胸が熱くなる話でしょうか。そこにどれが漫才でどれが漫才ではない、などという野暮な議論が挟まる余地は無いでしょう。外野の声でM-1の品格を語ることはできない。そういうことです。 1stラウンド結果 黄色はその審査員の最高点数。歴代で最も点差が小さい接戦になったようです。 2組が同点で並ぶのは記憶に無いですね。公式では「ファーストラウンドが同点だった場合は各審査員の得点を比較し、高得点をつけた審査員の人数が多い組を上位とする」とありますが、ニューヨークとオズワルドはそれでも同点なので、もし両方が3位で最終決戦進出のボーダーだった場合どうなったのかが気になるところです。 各コンビの感想(1stラウンド前半) @敗者復活:インディアンス (625点・7位) 「昔ヤンキーだった」ネタ。 まさかの敗者復活がトップでしたが、これ以上ないほどの適任者が来てくれましたね。田渕の底抜けに明るいキャラが盛り上げ役に打ってつけで、大会の成功を予感させてくれました。田渕がM-1の予選中に語っていた「これ(M-1)しかないんですよ…、今生きていて本当にテンションが上がることが。めっちゃ熱中できることが」という言葉通りの躍動で、アドリブも交えながら本当に楽しくやっていたのが見ているほうにも伝わりました。 去年は「おっさん彼女」のネタで、田渕のキャラありきの設定でボケが前面に出すぎていましたが、今年は会話の主導権がきむにあり、時折ボケとツッコミの役割を逆にしたりなど、良いバランスだったように感じました。志らく師匠の「以前はうるさいと感じたが、今年はうるさくない。人間性に深みが出ている」との評価に同意。去年は野放しだった猛獣が、今年は調教されていたような。 トップバッターゆえに点数は跳ねませんでしたが、本人たちも一度逃した決勝の舞台に帰って来られて楽しんだとのこと、本当にお疲れ様、ありがとうと言いたいです。 「うわ声高い! 背低い!」 「そんなことない! 160あるんですよ」 「自慢できる10の位じゃない!」 A東京ホテイソン (617点・10位) 「謎解き」ネタ。 待望のコンビが決勝に来てくれて嬉しかったのですが、結果は最下位と振るわず。謎解きネタでも回文ネタでも、審査員で評価が割れるであろうことは事前に予想していたものの、むしろ割れずに低調だった。2番目という出番も運が無かった。 ただ東京ホテイソンはそもそも元来のスタイルで決勝に上がれず、フォルムチェンジを繰り返した状態で今年選ばれたので、巨人師匠に「もう少し分かりやすいネタのほうが良かった」と言われると、違うんだよな〜と思ってしまう。それ以前にこいつらを選ぶのが2年遅いんじゃ〜などと。いっそ原点回帰した方が評価されるんだろうか、と想像してしまいます。 とは言え、随所に粗さがあったのは事実かも。後半の消しゴムコスコスパーティーは前半に比べてやや反応が弱かったし、親ポムポムプリンも(鉄板だから絶対入れたかったのかもしれないけど)流れと合わなくてそれほどハマらなかったですね。 でも、目の前で最下位経験者が優勝したのは不思議な巡り合わせですよね。まだ結成5年目、今後に大いに期待できるコンビです。 「い〜や アンミカドラゴン新大久保に出現!」 Bニューヨーク (642点・5位) 「細かい犯罪」ネタ。 昨年トップバッターで最下位に終わりましたが、今年はニューヨークらしさを存分に生かしたネタで帰ってきてくれました。採点後、松本に「腹立つけどおもろかった」と言わしめた後の屋敷の「よっしゃー!!」にグッと来ないM-1ファンはいないでしょう。 今年のニューヨークネタは各所で高評価なのはもちろん納得ですが、(少数派かも知れませんが)私は去年も同じぐらい面白かったと思ってます。来年いよいよ本命か? 2年連続最下位経験者の優勝は全然あるで! 「暴れすぎ暴れすぎ! 休みの日の両津勘吉ぐらい暴れとるから!」 「懐かしい、こち亀。無料で漫画全部読めるサイトでよく読んだわ」 「それも人前で言うな!」 C見取り図 (648点・3位) 「マネージャー」ネタ。 今年の大会を占うためにファイナリストを見渡した時、この大会は「安定感VS爆発力」の戦いだなと思いました。その安定感の筆頭にいたのが3年連続決勝の見取り図。序盤からリリーに振り回される盛山がひたすら愉快で面白い。ツッコミのトーンは芸術的。テンポよく笑いを取る安定感はさすがナニワの劇場番長でした。 私は優勝予想の3連単に見取り図を推していました。とは言え、良くも悪くも安定感の塊であるだけに、荒れない展開を祈り、接戦を勝ち切るしか見取り図に勝機は無いと予想。それだけに、最初にリリーが噛んだことがとても気になって。審査員には気にならなかった、うまくカバーしたと言われていましたが、減点要素には違いない。結果的にまくられることは無く最終決戦に残りましたが、この後のマヂラブに1点差で負けてるので、最終決戦の順番にも影響した。これが前後してたら結果がどうなっていたか全くわからない。ギリギリの戦いで少しのほころびが命運を分けたのかもしれないと思うと、本当に惜しいなと思います。 「自民党のポスター撮影、俺でええの!? そんな政党あった? 芸人に任す!?」 Dおいでやすこが (658点・1位) 「カラオケで盛り上がる歌」ネタ。 不勉強ながらR-1は全く見ておらず準決勝まで二人とも初見だったのですが、腹がちぎれるぐらい笑ってしまいました。これがユニットだなんて、驚くしかない。これまで数々の漫才師を見てきたつもりですが、ピン同士が組んで2年目のユニットが、何年も組んでるコンビにひけをとらないほど面白い漫才ができるなんて、お笑いは本当に不思議で分からないものです。 次々に繰り出されるこがけんの意味不明な歌に対して、小田の戦車のごときツッコミが繰り出される。その破壊力を受けても全く応えないこがけん。その繰り返しが圧倒的に面白い。でも勢いだけじゃない、ネタの構成も縦と横と奥行きへの広がりがあって立体的な構成が光る。終盤、ツッコみすぎて息が切れる小田はまさに迫真。このコンビを決勝に上げたM-1構成作家の慧眼に感服です。 「♪グッバイサンデー! ほらきたマンデー! 休憩チューズデー」 「知らんなぁーー!! 約束が違うやろ!! 火曜日まで待ったぞ俺は!!」 各コンビの感想(1stラウンド後半) Eマヂカルラブリー (649点・2位) 「高級フレンチのマナー」ネタ。 ニューヨークとはまた別の忘れ物を回収しに帰ってきたコンビ。 2017年に最下位に終わった時と、今年2020年の彼らはそんなに変わってない。後半デモンを召喚してフレンチではなく俺ん家に行くあたりとか、もうマヂカルラブリーのラブリーさそのものですよ。ただ、見ているほうがマヂカルラブリーの世界観に寛容になったように思う。それは世間が追いついたと言うべきか、彼らが大器晩成型なのかは分からないが、とにかく全てがきっちりハマって笑神籤も彼らに味方したのかなと。 しかしながら、3年前の野田ミュージカルが単調なネタだった反省も含めて、今回は破天荒なだけじゃない頭脳的なマヂカルラブリーが垣間見えました。それはまた最終決戦のところで述べます。 「どうもー村上です!」 「どうしても笑わせたい人がいる男です」 Fオズワルド (642点・5位) 「改名したい」ネタ。 冒頭から「なんか始まってました?」「一旦伊藤だけ覚えて帰ってください」「逆?」と、静かに話に引き込んでゆき、後半は「日本語やめたのか」「俺が激キモ通訳じゃねーか」「てめーずーっと口空いてんなぁー!!」と力強く畳み掛ける。右肩上がりの展開力に加えて、とにかく1つ1つのワードセンスが抜群に面白い。西の安打製造機・見取り図と双璧をなす、東のアベレージヒッター・オズワルド。ナイツ塙からも「話芸がすごい」と手放しでの評価。いや素晴らしかったです。 しかしながら各審査員の評価はやや別れる格好に。巨人からは「もう少し最初から大きな声でツッコんだら」と言われ、松本からは「静かな感じでオズワルドは見たかった」と真逆のアドバイス。これはどっちも気持ちは分かる。 オズワルドの持ち味って静かなスタートから徐々にギアを上げて、後半にトップスピードに持っていく技術だと思うのですよ。それが本当に微妙で、少しでもギアをかけるタイミングを誤ると、見てる方と噛み合わなくなる。今回はギアの上げ方がほんの少し早くて、期待よりも早くトップスピードに乗ったばかりに、乗り遅れた人がいたのではと感じました。言い換えれば、メロからサビに移るタイミングの判断が難しい。ほんの僅かな差なんですが。 去年に続き暫定ボックスに入ることも叶わず。でも、まだ結成6年目で2年連続決勝。すごいことです。“チャンピオンおくりびと”オズワルド、また決勝で見たいですね。 「やろうと思ったらその間に、稲荷かんぴょうかっぱ巻き、全部入れられたからね」 「俺の口の中を雑魚寿司で埋めるな」 Gアキナ (622点・8位) 「地元の女の子を楽屋に招待する」ネタ。 M-1は難しい。このネタは準決勝全組の中で1、2を争うほどウケていたネタなんですよね。審査員評の通り技術は文句なし。それでも決勝ではハマらなかった。2016年にトップバッターで大人びた幼稚園児ネタで見せたポテンシャルはすごかっただけに、今回はなぜ?と思わざるを得ない。3年越しのマヂラブは優勝し、4年越しのアキナは低迷した。M-1は難しい。 なぜハマらなかったか。えみちゃんは順番だと言っていましたが、どうでしょうか…、仮にこれが序盤や中盤に来ていても私は結果が変わっていたとは考えにくい。シンプルにネタ選びじゃないかと思うんですね。今回のネタは、漫才の中でコントをしてその中で漫才をする設定で、劇中劇のような形式が少し難しかった。加えてどうしてもメタ視点になるので、賞レースでは評価されにくいネタだったように思います。 アキナは多芸で何でもできるからこそ、無数にあるネタの選択肢から最適解が選びづらいんじゃないでしょうか。M-1の賞レースではやれおじさんには分かりづらいとか、やれ幅広い層に分かるようにとか言われがちです。何も無理にそこへ寄せる必要は無いんですが、アキナはもっとアキナらしさが輝く、かつM-1で勝てるネタが絶対あると思います。それさえ見つかってしまえば圧倒的に強いでしょう。 結果が出なかったから後から何とでも言えるけれど、去年は不出場で、今年事前の本人らのコメントでもM-1に賭ける熱量がそこまで読み取れなかった。ネタの後もM-1後の特番でも、すぐにこの結果を笑いに変えて器用に立ち回った。彼らの思惑は分からないが、私はこの結果を受けて泣いて歯ぎしりするぐらい、もっと熱いアキナを私は見たいぞ! リベンジを切に願います。 「紹介しとくわ。相棒のケン坊」 「普段そんな呼び方せえへんやん!」 H錦鯉 (643点・4位) 「パチンコ台になりたい」ネタ。 準決勝前の時点ではファイナリストに選ばれるイメージが全くわかなくて、「錦鯉は敗者復活の賑やかし担当かな」と思っていました。ところが、いざ準決勝のパチンコ台ネタ。泣くほど笑ったと同時に、一気にこのおじさんたちが大好きになりました。そして決勝の台風の目になるパワーも感じました。おいでやすこがと錦鯉を決勝にきちんと上げたのは2020年M-1運営のファインプレーでしょう。 錦鯉と言えば雅紀の頭をはたく長谷川が彼らのスタイルですが、このネタのようにバカバカしさに振り回されつつそのバカっぽさを優しく受け止めて、時々激しくツッコむぐらいの配分が見ていてちょうど良いように感じました。別に無理にツッコまなくても、この二人が並んでるだけで十分に滑稽です(誉め言葉)。 結果は4位。個人的には意外と点数が伸びなかったな、と感じました。レーズンパンに頼りすぎたというか、繰り返しが評価が伸びなかった要因かも知れませんね。私はツボなんだけどな…。それでも、この順位は存外大成功でしょう。 「まさのり、ダンスリーチ! まさのりがダンスを最後まで踊りきったら大当たり!」 「大丈夫か? 来年50だぞ」 Iウエストランド (622点・9位) 「マッチングアプリで彼女を探す」ネタ。 今大会きっての大穴でしたが、内容はインパクト十分なものの、順番的にも厳しかったですね。ここまで出てきたコース料理の品々が味濃いめで、最後にまた濃厚な料理が出てきちゃった…けどもう入らない! といった感じでした。 去年から今年にかけて世間のトレンドになりつつあった「誰も傷つけないお笑い」などという幻想に対する、強烈なアンチテーゼとして白羽の矢が立ったファイナリストでしたが、どうにも刺さる展開にはなりませんでしたね。でも、主張したいことは十分にできたんじゃないでしょうか。 このネタはどちらがボケでどちらがツッコミか判然としない点が興味深いですよね。ツッコミで笑わせるスタイルは珍しい。もっとバリバリに尖ったら、脅威となれる可能性も感じました。 「そもそも芸人に品行方正を求めてくるなよ鬱陶しいな! いいか? お笑いは今まで何もいいことがなかった奴の復讐劇なんだから! 芸人の一番の目的は復讐なんだよ!」 最終決戦 @見取り図 (2票・3位) 「生まれ故郷を大事にしたい」ネタ。 「俺ってドラキュラなんかな!?」「それ便座カバーの言い方やないか!」「あとマルハ島ってどこぉ!?」などの見取り図らしいラッシュ。発表の瞬間、3枚目までめくれて見取り図が2枚出てきた時は息を飲みましたが、大接戦の末に敗北。惜しかった……! これもう仕方ないことなんですが、大きな決定打が無くて、ちょっとだけ1本目より弱い気がしました。 番組終了直後、盛山が悔しさと安堵など色んな感情が込み上げて号泣したらしいです。あまりにも胸が締め付けられる。M-1は、輝く芸人がいる裏でその何倍も涙する芸人がいる。逆に、涙があるから勝者が輝く。ドラマティックで残酷な物語だと感じます。 「ハンデやるわ、俺も一人で行ったるわ」 「どこが合戦やねん! 見取り図が明石で待ち合わせしてるだけやないか! ネタ合わせしてまうわ!」 Aマヂカルラブリー (3票・優勝) 「電車で吊革に掴まりたくない」ネタ。 最も強い吊革ネタをあえて2本目に持ってきた理由について、M-1後の特番で野田クリスタルが自ら語っていました。「1本目にどちらのネタをやるかはギリギリまで悩んで、直前でおいでやすこがさんがあまりにもウケていたので、普通にやっては勝てないと思い、1本目をフレンチにした」とのこと。CMが挟まり場がフラットになったことも考慮したそう。普通は、悔いを残さないために1本目に強いネタを選ぶのがM-1のセオリー。あの大舞台で思い切った戦略に出たものです。 加えて、マヂカルラブリーが彼らのスタイルでM-1を制覇するとしたら、圧倒的な笑いでねじ伏せるしかなかった。審査員から票をもぎとるための笑いの量。賛否があることを承知の上で、マヂラブならこの勝ち方しかないという勝ち方を目指した。自分たちの信念を貫いて大衆におもねることをしなかった戦略。 大胆かつ繊細な2つの戦略で彼らは栄光を掴んだのだと思います。 事前に優勝を予想していなかった立場からすれば、「やられた。参りました」という気持ちです。すごい! おめでとうマヂカルラブリー! 「お茶の水〜お茶の水〜」 「中央線こんなんじゃねえよ!」 Bおいでやすこが (2票・2位) 「盛り上がるバースデーソング」ネタ。 冒頭にしっかりエネルギーをためてからの「おぼえられへん!! 長ぁーー!!」で1本目の流れをしっかり受け継ぎ、これは盤石かと思いましたが、1本目と違ってこがけんがずっと歌い続けるスタイル。あの強いツッコミが空中に霧散するような形になっていました。小田のツッコミを攻撃とするならば、1本目は跳ね返してノーダメージな様子が魅力だったけど、2本目は当たらないで消えていくといった感じで、物足りなさがありました。それゆえ風向きがずっと同じで、1本目にあったネタの立体性をやや欠いた印象を受けました。 それでも終盤はジュークボックスのくだりでしっかり取り戻したので、これはいったかと思いました。結果、2票で準優勝。あと1歩でしたが、大快挙ですね。 おいでやす小田は早くも来年の出場を明言しており、楽しみで仕方ありません。もう来年はユニットという目では見られなくなるのも注目ですね。 「すいませんお客さん。手ぇ出しますね。止まんないんで。ぼく普段そんなんしないんですけど。もうそれしか無いんで」 総括 漫才という形無きもの M-1史上初めて票数が3-2-2で割れる大接戦。コンビ別に投票した審査員を見ると、 ・見取り図=巨人、ナイツ塙 ・マヂカルラブリー=志らく、富澤、礼二 ・おいでやすこが=松本、えみちゃん 中川家礼二がマヂカルラブリーに投票した点が興味深いですね。後日礼二は「一番笑いを取ったコンビに入れた」と言っていました。初代M-1チャンピオンが認めるなら、それはもうお墨付き。一番面白い漫才と言えるでしょう。 個人的にはむしろ、過去に票がここまで割れたことがなかったのが不思議なぐらいで、もっといつも割れてもいいとさえ思っています。去年はほぼ満場一致でミルクボーイ、その前の満場一致は2009年のパンクブーブー、2006年のチュートリアルがありますが、満場一致は納得感はあるけど、「そうだよな」で終わってしまうんですよね。それ以上掘り下げる余地がない。むしろ「そうだよな」ではなくて、「そうなのか!?」が欲しいんですよ。そういう意味では、今年のM-1は去年と違った形で極上でした。 お笑い、漫才って無限にパターンがあって、同じものなんて1つもないと思うんですね。だからこそ、1つ1つを吟味してどこに面白さがあって、それがプロたちにどう評価されるかを見れるのがM-1グランプリなんです。皆が同じ採点基準で同じ人に投票してたら面白くないですよね。「こんな結果おかしい」じゃなくて、「なんでこんな結果になったんだろう?」という姿勢で見るほうがM-1は楽しい。 このひどく難しい「無形のものを評価すること、定義すること」こそが、M-1の魅力の根源なのですよ。だから「これは漫才じゃない」「いやこれこそ漫才だ」という議論は歓迎すべきもの。そして芸人がマイクの前で披露する世界こそが、全ての答えなのではないでしょうか。 採点してみた 毎年恒例、インターネットによくいるイタい人っぽく、自分で採点してみましたのコーナー! 採点傾向的には去年と同じく志らく師匠が一番近かったです。 今年も一年 ありがとうございました。ねずみ年はこれにて終了! 来年もごゆるりとお付き合い頂ければ幸いです。皆様、良いお年を。 |